「主の救いがある」  5.6  出エジプト14:15〜31、ルカ22:44〜47

 脱出したイスラエルの民にエジプト軍が追い迫ってきました。民は非常に恐れます。
主に向かって叫ぶしかありません。モーセは、この危機の大きさを良く知りつつも言います。
「恐れてはならない。落ち着いて今日あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。
…主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい。」
これは、あきらめや投げやりの中で生まれた言葉ではなく、時を支配し、導かれる神への
深い信頼から生まれる言葉です。絶体絶命の危機の中でも、自分たちを滅びへと進ませない
救いの神を信じたのです。そのために戦われる神を信じました。そして確かに、神が開いてくださった
海の中の道を歩んで行き、救い出されました。  

私たちが信じるのは、モーセが信じたのと同じ救いをもたらす神です。
危機しか見えない状況を切り開いて、進める道を用意される神です。
ですから、私たちは、どうしようもないところでも、恐れず、落ち着き、静かにして神の救いを信じて生きます。
最後まであきらめたり、開き直らずに神の奇跡を待って生きます。
 神は、前に横たわっていた海を二つに分けて道を開いてくださいました。海は、行く手を阻んでいた
ものです。不安の源です。
モーセたちは、そこにやけくそになって突き進んだのではありません。
状況を切り開く神への信頼と共に進んでいくのです。それが確かな歩みとなっていきます。
神がその道を乾かしてくださるからです。
目の前に自分ではどうにも出来ない海が横たわっていると時があります。そのような時に、
「出発させなさい」との御言葉を聞かされます。この呼びかけをされる神への信頼と共に歩み出すのが
私たちです。  
「神は真実な方です。あなた方を耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、
それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(コリント一10:13)
救いの神への深い信頼の中でこそ、逃れる道を見いだせます。